第3の案
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15第1章 ❖ 転換点困、そして環境の緩慢な破壊である。アジアの中間管理職は、悲痛な声をあげていた。「わが国はアジア最貧国の一つである。これは私たちの合言葉のようなものだ。国民のほとんどが貧困層なのだから。働き口がなく、教育水準は低く、インフラはほとんど整っていない。莫大な負債を抱え、政府はまともに機能せず、汚職が蔓延している」 *1これは私たちの友人や隣人がいま現在感じていることである。明日は違う問題を挙げるかもしれないが、痛みの種類は同じであって、その度合いが多少変化しているだけではないかと思う。強くなる一方のプレッシャーのなかで、私たちはかつてないほどいがみ合っている。二〇世紀は国家間の戦争の世紀だったが、二一世紀は個人の悪意の世紀になりそうだ。怒りの温度計は上昇している。家族のいざこざ、職場での対立、ネット上のいじめ。裁判所はいつも混み合い、変質者は何の罪もない人を殺す。「コメンテーター」なる人種がメディアを賑わし、口ぶりが攻撃的であればあるほど、彼らは金を稼げる寸法だ。私たちはこのような闘争熱に病んでいる。幸福論のエキスパート、エリザベス・レッサーはこう話している。「あらゆる文化が他の文化を悪と決めつける、そんな風潮に強い不安を覚えます……人類の歴史上最悪の時代はこんなふうに始まるのでしょう。まずは他者を攻撃し、それが暴力的な過激思想に変容していくのです」*2 こうした状態が行き着く先を、私たちは知りすぎるほど知っている。では、最も敵対的な対立、私たちにとって最も困難な問題をどのように解決したらよいのだろうか。• もう我慢はせず、「敵」に怒りをぶつけると決心し、争えばよいのか?• 来る見込みのない助けを待ちながら、被害者でい続ければよいのか?

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